戯言ポイズン

140字では終われない

舞台「アマデウス」備忘録という名の感情論爆発地点

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松本幸四郎の舞台に出演すると聞いて正直驚きはありませんでした。すごいね!やったね!とは思いましたが。理由としては、わたしが彼のファンになる前から、舞台における彼の演技の評価はすこぶる高かったから(ブラッドブラザーズの感想を読み漁ってた時期にそれは感じました)。また、ブラッドブラザーズに足を運べなかったブラブラ亡霊としては、今回やっと生で桐山照史の演技が観れることがとても嬉しくて嬉しくてしょうがなかったです。

 

ライブツアー中に発表された為、MC中そりゃ話題にもなりますわな。メンバーに「すごいな~」と言われたりファンに「おめでとう~」と言われたりする中で、彼が笑いながらも「めっちゃプレッシャー!」と発したこと、そしてその表情がわたしは印象的でした。MCのみならずラジオでもポロッとこぼしていたこともありました。彼もプロですから、別にこんな一ファンが不安になることもないし、ただ黙って応援してればいいんですけど、やっぱり彼の不安はこっちにも伝わってきてて、大丈夫かな…大丈夫かな…と思ったことは数知れず。ただ、何故か、多分すごいものを見せてくれるという期待と、その期待通りに彼は演りきってくれるんだろうなあ~という思いはしっかりありました。

 

結果、彼はわたしのそんな思い以上に素晴らしいものを見せてくれましたし、彼の演技力だけでなく、共演者に愛される人柄含め、更に更に好きになってしまいました。

千穐楽から2週間以上経つのになんやかんやで感情はまだ落ち着いていないし、思い出す度に胸は熱くなるし、ふとした瞬間にセリフが頭の中を過ったりします。文章力や考察力が乏しいのでみなさんが書かれているような風には書けないと思いますが、わたしが感じたことを、備忘録として本編を辿りつつ、感想として書ければと思います。セリフはニュアンスで書いていますので一字一句同じではないと思いますが、お許しを。多分長くなると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず聞こえてきたのは、「アントニオ・サリエーリが、30年前モーツァルトを殺したのは自分だ、許せキミの暗殺を…などと夜な夜な叫んでいる」という噂話。そこへ松本幸四郎扮する老爺のアントニオ・サリエーリが姿を現し、客であるわたしたちを“未来の亡霊たち”と称し語るところから物語を始めていきます。“つかみはOK”とはまさにこういうことなんだろうな、と思わせる出だし。重い話がこれから始まるのかと思いきや、「まずみなさんに懺悔しなければいけないことは、食い意地だ」とお菓子を食べ始めるのです。客たちはついクスっと笑ってしまいます。公演前、映画アマデウスも観たことがなかったわたしが持っていたサリエーリ情報は、“モーツァルトを、社会的、精神的に追い詰め、直接的に手を下したわけではないが最終的に死に追いやったとんでもない奴”だったので、なんやこのちょっとおもろい爺さんは…と、緊張気味だったわたしの強張った肩からは力が抜けました。

そしてここからは、恐らくたくさんの方がおっしゃっているので、ここで語るのも今更感はありますが敢えて言わせてもらうと、老爺から30代の若かりし頃のサリエーリに一瞬にして変わるところがすばらしすぎて最初鳥肌が立ちました。世界観も、古ぼけた館の暗い一室から、煌びやかな王宮の明るい一室に変わります。ここで観客から一斉に拍手が起きるのですが、歴代のアマデウスも恐らくそうだったのかな?でも納得の拍手でした。思わず拍手しちゃいますねあの演出、そして幸四郎さんの演技は。で、諸々の人物紹介やらもサリエーリがやってくれたので、誰がどういった地位なのか、どういう立場なのかが非常に分かりやすかったです。そもそも事前勉強とかまったくしてなかったので、かなりありがたいポイントでした。そして諸々あって、王宮にモーツァルトが来るよ~って話になり、いよいよ桐山モーツァルトの登場。

 

「にゃああ~~~~~~お~~~♡」

 

!!??

 

「にゃおにゃおにゃおにゃおにゃおにゃあ~お~♡」

 

!!!???

 

「(ピアノの椅子に飛び乗り)爪がにゅっ♡爪がにゅっ♡

(コンスタンツェ目がけジャンプ!)ぅわっは~~~♡♡♡」

 

いや、あの、破天荒で下ネタが多いよ~とは本人から様々な媒体で見聞きしていたがこんな登場になろうとは…!!!まあ大体の桐山担はここで死にかけましたよねそうですわたしもです。妻のコンスタンツェ(この時点ではまだ妻ではない)と、ちょっと卑猥で幼稚な言葉を口走りながらとにかくイチャイチャ楽しそうにする桐山モーツァルト。ただ、わたしは彼の口から発せられる、お○っこやう○こ等の言葉が、何故か下品に聞こえませんでした。そしてふざけ倒していたかと思えば突如イケボで、「結婚して?」とか言うから大体の桐山担はここで以下略。

一気に観客たちが桐山モーツァルトの世界に引き込まれてしまう雰囲気が最高に楽しかったです。にゃおにゃお言いながらはけていった後も残る観客の楽しそうな笑い…。いいぞいいぞ桐山モーツァルトいいぞ!!!

その一部始終を、隠れて見ていたサリエーリは息も絶え絶え。「これが噂の天才モーツァルト!?!?」という驚愕の表情。

 

そしてサリエーリとモーツァルトが宮廷にて初対面。サリエーリがモーツァルトの為に作った歓迎の曲を、静かに聞くモーツァルト…と思いきやモーツァルトはじっとして聞くことができないのか、リズムに合わせて笑顔でステップを踏み始めたりして、一緒にいたお偉いさん方に「シーッ」とされます。ここで踏むステップの軽さ…アイドル桐山照史が出て桐山担は「可愛っ…」ってなったんじゃないでしょうかそうですわたしです。演奏が終わり拍手。この拍手の演技がとっても子どもっぽくて、この後年齢を重ねていく桐山モーツァルトと比べると、年齢の差を演技としてどう見せるかが非常に分かりやすい箇所だったかな。プラス、サリエーリの凡庸な曲を少々小馬鹿にするようなまるで幼稚園児のような拍手だな…と感じるところもあり、年齢がまだそこまでいっていないこともるけれども、色々と裏を考えてしまった箇所でしたね。

そして、お偉いさん方に会えて光栄だ~とお礼をし、一番お偉いさん(皇帝)には、手に100万回のキス!(ここで出る皇帝の「くすぐったい…そう興奮したもうな」というセリフがわたしはとても好きです。笑) そして、情熱大陸でもありましたが、「はい!いいえ…いいえ…はい!いいえ!はい!はいですぅ~」の演技がこのあたり。多分ここの演技は日によって違いますよね。彼は稽古の映像で「めっちゃムズイ~」と言っていました。確かにわざとらしい演技になりがちな部分ではあると思うけど、自然な流れでおもしろくできていたとわたしは思いました。遊ぶ日もあったりして。初日、松竹座2回、千穐楽と、計4回観ましたが、全部違ってて面白かったです。

そしてお偉いさん方は去っていき、サリエーリとモーツァルトの二人きりになります。モーツァルトは先ほどの曲をすぐ覚えてピアノ演奏を始めるわけですが、「ん?ここ…うまくいってないね…」と勝手に編曲を始めます。そして「ああ…良くなった」と楽しそうに笑うのです。人が作った曲をいとも簡単に変えてしまったのです。めちゃくちゃ無礼な行為だけど、これはモーツァルトの音楽への純粋な思いがあるが故、そして才能があるからこそ成せる業。サリエーリはここから既にモーツァルトのこの才能は脅威の存在であると思い始めていたんでしょうね。そして「これ(サリエーリが作ったモーツァルトの為の曲の譜面)ありがとう!!!ギャッハハハハハ~~!!!」と去っていくモーツァルト。「この時かな、彼を殺そうと思ったのは」とサリエーリ。その気持ちわかるぞ。(笑)

 

登場からここまでのモーツァルトですが、宮廷という重厚な雰囲気を、破天荒な天才児がしっちゃかめっちゃかにしていく様子が、とてもテンポよく進められていって、彼の“陽”部分が全面的に生かされたシーンだったなあと思いました。

 

そして色々あってモーツァルトのお父さんの反対に背いて(モーツァルトの中で父は絶対的存在でした)結婚したモーツァルトとコンスタンツェですが、宮廷のどこの馬の骨かもわからん男たちとコンスタンツェがテーブルの上で、木の棒をドレスの中につっこみ足に沿わせあわよくばアソコをツンツン?的な破廉恥なゲームをしているところを見つけてしまい、

 

「何をしているんだ! 

テーブルから降りなさい!」

 

と、ドスの効いた声で真剣に怒るのです。今まで出てきていたお茶目なモーツァルトとはまるで別人。そこで一瞬ドキっとしてしまったわたし。わたしも怒られたい。

 

「お引き取りを…

 どうぞ!……お引き取りを…」

 

ここの声の圧の加え方と抑え方と間の取り方、最&高。

怒っている雰囲気がめちゃくちゃ伝わってきたし、会場も一瞬ピリつきます。でもその男たちがいなくなった後、奥さんに対しても怒っているけど優しい口調で話しかけるモーツァルトも印象的で、会場はまた和みました。奥さんのこと大好きで優しいんだねってのが口調の強弱の付け方からわかるシーンだったかな(後で妊娠したコンスタンツェへの接し方でも感じましたがそれは後ほど)。夫がいる身でありながら他の男とすけべなゲームをしていたコンスタンツェに対し、「僕に恥をかかせたんだよ!この僕に!」とモーツァルトはぷんすこ怒ってましたが、「恥をかかされたのはこっちよ!生徒に手を出したりして!これだわ~~~サリエーリさんとこには生徒がつくのに、あなたに生徒がつかないのは!サリエーリさんは生徒をベッドに引きずり込んだりしないもの!」と逆に怒られタジタジ…しかしへこたれないモーツァルト

 

「だってあの人もうダメなんだもん…。もう、勃たないんだもん(イケボ)」。

 

ここで毎回楽しみにしていたのが、男たちが持っていた木の棒をモーツァルトが持ち、ち○こに見立てる“棒ジェスチャー”。

 

「あの音楽は勃たない奴の音楽さ。

だが少なくとも……僕は勃つ…(イケボ)」

 

「僕は勃つんだぁ~~あ~あ~あ~(ビブラート)♪」と歌ったり、ここも日替わりで遊びをいれてきて、わたしがアマデウスの観劇の度に楽しみにしていた箇所でした。続けて棒で遊びふざけ続けるモーツァルトに、ついにコンスタンツェは泣き出してしまいます。ここのモーツァルトの慌てっぷりも実に子どもくさくて良かった。「僕は君に泣かれるとどうしていいかわからないんだ…!」と、モテてたくせに泣いてる女の扱い方は下手くそな子どもなモーツァルト。ただ、すぐ持ち前の茶目っ気さで「泣き虫スタンツェおならがぷう~♪」などと歌い出し、なんとかウケを狙ってコンスタンツェが泣き止むように仕掛けます。実際問題こんなことされたらまじブチ切れると思うんだけど、そこはお互いバカップルなのでこれでいいんでしょうね(酷)。そしてここからが更に見どころ、イケナイ僕にお仕置きをしてってことでコンスタンツェに木の棒を渡す桐山モーツァルト

「(この棒で)お尻をぶって!」そして四つん這いになる桐山モーツァルトは客席に顔を向けてもう一度言います。

 

さあ!ぶって!(とてもいい顔)」

 

(バシッ!)「あ~~ん♡」

 

(バシッ!)「ああ~~~ん♡」

 

なにを見せられているんだわたしは…と思いながらも、ウッ…照史くん…その声最高…!!と心の中では大興奮していましたごめん。モーツァルトは、自分がぶたれることで好きな人の気が晴れるならそれでいいと思って、ぶたれてたんでしょうね。決してマゾではないと思うので。その後その様子をまた見てしまったサリエーリとなんやかんや話して、「玉突きしません?」と棒を持ったまま腰を振り突き出し誘うところも、照史くんがアイドル業で培った(?)賜物が存分に出ていて最高でした。

 

そして後日、コンスタンツェはサリエーリに、モーツァルトに仕事をくれるよう、一人でサリエーリの自宅へモールツァルトの楽譜を持っていきお願いします。ここでサリエーリはまたモーツァルトの才能を見せつけられ愕然とするわけです。「あの人(楽譜の)写しはとらないんです。どれも一部きりで…。」と、書き直した痕がまったくないキレイなモーツァルトの譜面を見ることによって。「モーツァルトの音楽は頭の中で既に完成している。あいつはただ…頭の中に流れている音楽を紙に書き留めているだけに過ぎない」と、モーツァルトが本物の天才であることを突き付けられます。

幼少期、「主よ、我に名声を与えたまえ、その代わり、あなた(神)の為に尽くします。欲を捨て、世の中の為に生きます。」と懇願したサリエーリ。その神に地位と名声は与えられたものの、自分が愛した音楽の才能は与えられず、ただ、才能ある音楽を聞き分けられる“耳”のみが与えられたに過ぎなかったことに気が付き、今まで自分が信じてきていた神に裏切られていたのだと実感します。

「いいか!!!神を嘲るなかれだと!?人を嘲るなかれだ!!」というセリフがあるように、この日を境に、今まで信仰してきた神を“敵”にしてしまいます(サリエーリが勝手にそうしちゃうだけだけど)。まーーーーここのシーン、観ていてかなりしんどかったです。今まで自分が信じてきたものに裏切られたんだもの。そりゃしんどいですよね。あと、こういうシーンって多分宗教的観点から観るのも味わい深いものがあるんだろうな~って思いました。サリエーリは今まで信じてきた神をいきなり敵にしちゃうんですからね。キリスト教徒の方から観てどう感じたのかも知りたいです。淳太くん、どうだった?

自分が欲しかった音楽の才能を、神は、モーツァルトに与えたがしかし、そのモーツァルトの才能が分かるのは自分だけだという優越感も、サリエーリにはありました。モーツァルトの音楽が素晴らしいものだとわかっているのは自分けだという優越感。そして、多分そのモーツァルトを生かすも殺すも自分次第だということも、彼はわかっていました。だからこそ、神に戦いを挑めたのかな…とも思います。神が選んだモーツァルトに実際接触でき、どうにでもできるのは、モーツァルトを選んだ神ではなく、自分だから。

 

戦いを挑んだところで1幕は終わり、2幕からは、モーツァルトの風貌も変わります。その風貌がべらぼうにかっこいいんです。茶髪ロン毛をリボンで結んでて…!

 

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やだ可愛い似合う聞いてな~~~い!!!!

1幕はド派手な衣装とカツラだったんですけど、2幕以降からは貧乏になっていって(サリエーリのせいも若干ある)、衣装が質素になっていくんですけど、その中間あたりが2幕はじめなんですけど、とってもかっこいい。この衣装で宮廷で「音楽ってのは凄いんですよ!!」と、音楽、オペラの素晴らしさについての長セリフをブワーーっと喋り続けるのです。ラジオで「台本辞書くらいあったで!」とのんちゃんが言ってたなかな?忘れちゃってすみませんなのですが、ここ本当に膨大な量のセリフでした。早口で言うところもありました。それをわたしが観た限りでは1回も噛まずに…しっかりとモーツァルトとしての演技を交えながらやっていて、観ていて「ふわぁ…」と圧倒されてしまいました。そして、「僕っていい奴なのに、どうしてみんなからノケモノにされるんだろう…(お顔を横にコテン)はぁ…」というセリフのときの喋り方と顔が最上級に可愛かったです。お顔コテンってするときも、毎回違ってて、「はぁ…」って溜息つくバージョンもあったりそうでなかったり…まあどっちにしろ可愛かったんですけども。このへんのセリフの抑揚とか緩急の付け方、素晴らしかったなあ。天真爛漫で活き活きとした姿は彼には適役だなあと思いました。サリエーリがまたもモーツァルトの才能に驚愕する姿も印象的でした。「やっぱりこいつは天才だ」と、ここでまた強く思ったんでしょうね。わたしは「天使がいる」と思いました。天からの使い=神からの使い…、あながちサリエーリと共感するところもあったのかも。でもでもでも、人間らしいオペラを書きたかったモーツァルトはやはり人間くさいところもしっかりあって…。まあ天才とか神に選ばれた…とか以前に、モーツァルトはただ純粋に音楽が好きだっただけ…なんやろなあ…至極単純なことだったのになあ…。

 

やがて、かの有名な“フィガロの結婚”が完成し、演奏会が開かれます。サリエーリが「“フィガロの結婚”…諸君には(その素晴らしさの)説明は不要だろう…説明せずとも、己の耳で聞くことになるのだから。」とわたしたち“未来の亡霊”に、モーツァルトの絶対的才能には敵わない凡庸な音楽しか書けない自分と比べて語り掛ける姿は、苦しく切なく、胸が締め付けられる思いでした。しかし皇帝やその他お偉い様方の好きなタイプの音楽ではなかった為、モーツァルトはまったく評価されません。その才能が分かっていたのは、サリエーリのみ。皇帝に「うまくなったな!モーツァルト」とお世辞と丸わかりの評価をされ、モーツァルトは落ち込みます。

 

「サリエーリさん…僕上手くなったと思います?」

 

「これはねぇ……オペラの最高傑作ですよ。

 こんなの、ほかの誰にも書けやしない…。」

 

仕事もなく評価もされず自暴自棄になりながらも自分の才能だけは決して疑わないモーツァルトの音楽に対する純粋で真っ直ぐな心、そして目、にここでまた引き込まれます。因みにわたしが一番好きなシーンはここだったりもします。「これはねぇ…オペラの最高傑作ですよ」。この一言。ここがモーツァルトの音楽の才能に対する絶対的自信が一番表れていると思うのです。ここまで自信たっぷりに言えるのって本当に羨ましい。わたしにはここまではっきり断言できるほど秀でるものがないから。本当に自分の才能が素晴らしいと思ってるからこそ言えることば(まあこれを人前で言うことについては社会性に欠けているかなあとは思いますが)。職場で上司に「これでいいのか自信がないんですよね…」と相談してアドバイスをもらうとき、「きみのこういった方向性は間違ってないから、もうちょっと自信持ちなさい。」と言われます。ああ、わたしもこれくらいの自信が持てたらなあ…と羨望の眼差しでモーツァルトを観ていました。それくらい、桐山モーツァルトの自信家の演技に引き込まれていたんでしょうねわたしは。

 

そうこうしているうちに、モーツァルトの絶対的存在であった父が死にます。絶対的存在がいなくなったことで、サリエーリはその父の代わりになってやろう…モーツァルトの揺るぎない存在となってやろうと目論んだのかわかりませんが、「わたしが君の味方だ」と言わんばかりに、モーツァルトと抱擁を交わそうとしますが、モーツァルトはその抱擁には応えず、亡き父の姿を重ねてまた曲を書きます。これまでも、サリエーリはモーツァルトとハグしようとする瞬間があったのですが、モーツァルトは絶対にハグせずはぐらかしてきました。コンスタンツェも「サリエーリには気を付けろ!と彼に言われた」的なことを言っていました。心が純粋であるが故、サリエーリはそうではないということが直感的に彼にはわかっていたのかな。自分が高い地位につけないのはサリエーリに邪魔されているせい、「サリエーリの差し金だ!」とも言っていましたし、サリエーリが助けてくれる度に(これはサリエーリの策略が失敗して偶然良い方向に向いただけなんですけど)「良い人だ~!助けてくれてありがとう!」と言いながらも、サリエーリと良い関係を持とうとはしていなかったのでしょうね。まあ劇中ではモーツァルトを追い詰めていく存在だし、当たり前か。

 

仕事も地位もないモーツァルトは更に貧乏のどん底へ。生活も荒れ果てていき酒を片手に…しかし作曲をすることはやめないモーツァルト。妊娠したコンスタンツェがその現実にヒステリックに泣き叫ぶところを慰める姿は本当に優しくて、泣きそうでした。「僕の可愛い奥さん♡このキスどこからくる?こっちかな?…あっちからもくるね♡ほ~らキスキスキス♡」と、貧乏&病魔に蝕まれていく中でも、コンスタンツェに暴言を吐くことはなく、「ごめんよ…」と言いながら抱きしめ、慈しむ姿は悲痛でありながらも美しかったです。やがてコンスタンツェは出産しましたが、この生活環境では赤ん坊を育てていけないと感じ、温泉へ休養しに家を出ていきます。このあたり、彼女はモーツァルトを愛しつつも、現実主義であり、強さがあるなあと感じますよね。愛する奥さんに出ていかれ、またも自暴自棄になるモーツァルトは、サリエーリに唆され、絶対題材にしてはいけないものをテーマに、オペラ“魔笛”を作ってしまいます。ただ、この“魔笛”の酒場での演奏会シーン…桐山モーツァルトとしてはわたしがビジュアル的に一番かっこいいと思ってしまったシーンであります。アルコールで目もうつろになってはいるのですが、ビジュアルがとにかく…超、いい!!!!計4回観ましたが、やっぱり“魔笛”の照史くん一番かっこいい…と毎回双眼鏡覗きながら内心、ムリムリかっこいいよえーんと咽び泣いていました。シーン的にはかなり深刻な場面ではあるのですがね…。ビジュアルがいいんだもんしょうがない。←

 

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これはリハですけどね、超かっこいいんだよね…。。。

 

かくして“魔笛”が原因で社会的に完全に抹殺されてしまったモーツァルトですが、憑りつかれたように、灰色の仮面の男に依頼された曲を書き続けていました。その灰色の仮面の男の存在が夢か現実かももう分からなくなっていたモーツァルトの部屋に、サリエーリが灰色の仮面をかぶり、訪れます。一体どんな曲を書いているのか、と、モーツァルトが怯えている存在にわざわざ成りすまして、モーツァルトに招きいれられ部屋に入るサリエーリ…ストーカーにもほどがある…ヤラカシかよ…と思ったことは内緒にしておきます。サリエーリ扮する灰色の仮面の男が譜面を読んでいる間、自分の過去を「あ~あ…あんなに順調に始まったのになぁ…僕の人生…」と天才児として周囲の人間から愛されていた時代を振り返るモーツァルト、これがまた切ない…。「どうしてこんなことになってしまったの?僕がそんなに悪かったですか?教えてください!」と悲痛な叫び声をあげるモーツァルトに、そろそろわたしの精神力も限界を迎えようとしていました。辛い…自担のこんな姿…辛すぎる…!!

 

そして譜面をビリビリに破いて、「我々は神に毒を盛られたのだよアマデウス…」と吶々と語り始める灰色の仮面のサリエーリ。モーツァルトも、目の前の男が幻でないことに気付き、恐る恐る仮面を外します。

 

「ッ…サリエーリッ!!!!」

 

そう、初日と2回目はハっ…と驚くような顔で後ずさりして口を手で抑えるほど衝撃を受けるという感じの演技だったのですが、わたしが観た3回目と4回目(大千穐楽)では、その驚き方が違っていました。

 

「サリエーリ………」 

 

酷く色の無い声で、ただただ絶望だけがある声でした。演技を変えた理由はわかりませんが、モーツァルトが「やっぱりお前は僕に何かしてくると思ってたよ…僕の才能を少しでもわかってくれるのはお前だけで、ちょっとくらい信じたかったのに」という…最後の最後の望みのひとかけらをぶっ壊されたような絶望感が表現されたんじゃないか…と勝手に想像してしまいました。全然…見当違いかもしれませんけど。

 

貧乏と病気で弱り切り、味方も誰一人いなくなり精神的にもボロボロになってしまったモーツァルトでも、その音楽の才能だけは衰えず、自分はどう足掻いても絶対に敵わない存在であるということがわかったサリエーリは、モーツァルト、君にできることは死ぬことだけだと言い放ちます。「死ね!死んでくれ!わたしの前からいなくなってくれ!私をひとりにしてくれ!ひとりに!!ひとりに!!ひとりにっ……!!!」その狂乱ぶりに怯えきって机の下に潜り込んだモーツァルトのいる机を乱暴に叩きます。もうやめて…やめてよ……と自然と涙がこぼれていました。こんなの辛すぎる…と目を覆いたくなるような光景が繰り広げられる中、遂に、モーツァルトの精神は完全に崩壊します。

 

「パパーーーーーーーーッッ!!」

 

「パパ?」

 

「どこなのパパ?…」

 

そして完全崩壊したモーツァルトは、

サリエーリが自分の父親に見えてしまい、本当に嬉しそうにします。

心から愛し尊敬していた、モーツァルトにとって絶対的存在のお父さん。

 

「パパぁっ!…ねぇ…パパ抱っこして…抱っこしてよぉ…その手おろしてくれたらさ、そこに飛び込むからさ…昔よくやったじゃ~ん。ほら!ほっぷほっぷじゃーんぷ!」

 

「ねぇ、キスの歌うたお?覚えてる?」

 

キスの歌を歌い出すモーツァルト。もうわたしの涙腺も崩壊していました。このキスの歌を歌うモーツァルトの声が純粋な子どもの声で、楽しそうなんだけども、劇場に響き渡る歌が本当に切なくて切なくて…。愛し愛されていた筈の人間に尽く裏切られ、最後に神様に助けを求めるも、サリエーリに「神は君を愛してはいない!」と言われ…。絶望から逃れるように精神的に崩壊し幼児退行してしまった…。あの彼の声は、天才だと思いました。これはわたしが桐山担だから思うのかな…って思うところもあるのですが…、あんな難しい演技を目の前で演っていることに対しても感動して、毎回このシーンで泣いていました。照史くんの歌唱力と高めのあの声があったからこそ出せる雰囲気だったと思うんです。あなた本当にすごいよ…。

 

そして、サリエーリと、父の幻影をサリエーリに重ねてしまったモーツァルトが抱きしめあいます。ここのサリエーリの、幸四郎さんの顔がとても切なかったな…。神が才能を与えたモーツァルトが自分の手により崩壊し、最後は自分にすがるように抱きついてきた…それは神に勝利したことと思ってもいいのに、サリエーリは全然嬉しそうではなかった。寧ろ悲しそうに見えた。その表情を見て、わたしはハっとしました。

ここまで神とサリエーリとの闘いを見てきたつもりでいたんだけれども、いやまあ闘ってはいるんだけども、これってただ、サリエーリの行き過ぎた嫉妬心と、サリエーリ自身の理想と現実のギャップに自身の精神が耐え切れなくなっただけなんだ…と気付いたから。でも、サリエーリは毒を盛られているので(結局のところサリエーリも梅毒によって頭がおかしくなってしまったといわれているので)ただそれだけのことだとは思っていないようだけど。演劇評論家の方が「アマデウスはとても普遍的な人間ドラマ」と書いていたけど、まさにその通りだなと思いました。“神様はなんて不公平なんだろう”ということば、よく耳にすると思いますが、人は自身の理想と現実のギャップがあまりにも大きくなったとき、葛藤の苦しみから少しでも逃れる為にそれを神に責任転嫁してしまうのではないでしょうか。だってそこには誰のせいとか…誰が悪い…があるわけではないからね。それが音楽の美しさと共に芸術的に描かれたのが「アマデウス」なんだろうね。

 

 

 

 

 

完全に精神崩壊したモーツァルトの元に、コンスタンツェが帰ってきます。

病気もかなり進行しており、心身ともに最悪な状態まで脆弱してしまったモーツァルトに優しく話しかけるコンスタンツェ…。でももうモーツァルトの目に光はなく、コンスタンツェが必死に語り掛けても、もう、彼の耳には届いていないようでした。

 

「わたしといて楽しかったでしょう?」

 

演じた大和田美帆さんも好きだと言っていたセリフ、わたしも好きでした。確かに、コンスタンツェといるときのモーツァルトは本当に楽しそうで、父親を失い、人間不信になっていくモーツァルトが唯一信じて愛せたのもコンスタンツェでしたからね。だからこそ、大好きで大切だった奥さんの声も、もう聞こえない状態にまでなってしまった彼の姿に、ここでもわたしは涙が止まりませんでした。そして、彼が楽譜を書き留める為に持っていた羽ペンが手から滑り落ち、彼が息を引き取ったのだと、観客は察します。羽ペンを持ち出したのも、多分公演半ばくらいからかな?初日はなかった気がする。あったらごめんなさい。正直初日泣きすぎてあまり前見れてないから(笑)

千穐楽では、彼も泣いていましたね。息を引き取った後、目からスゥッと一筋だけ涙が流れたのが印象的でした。最後だから…という感情がこもったのかもしれませんが、これが演技なら、相当凄いなあと思う。

 

 

サリエーリの独白が終わり、夜明けが。

自分が犯した罪に苛まれ自殺を図るも、

それは失敗に終わりますが、その後、

 

「名もなき人々を わたしは許そう」

 

と言います。自分は理想と現実とのギャップ…そして嫉妬、凡庸である自分が許せずこんな風になってしまったが、こんな風にならなくていいんだ、と。どれだけ凡庸であろうとも、他の何でもない、わたしはわたしであるから、そんな自分自身を認めてやればいいんだと。それが難しいのであれば、わたしが許してあげよう…と、最終的には自分自身をゆるしてあげられない人々の守護神になろうとしてくれます。サリエーリもきっと自分自身を許してあげたかったんだろうね。我々を許すことで、自分も許すことになるのだと…。最後、いのりのことばを含め語り掛けてくれたサリエーリのことばは、苦しそうでしたが優しかったです。わたしは、わたし自身のことを結構気に入っていますが、自分のことすべてまるっとを認めて受け入れられているわけではないので、この舞台を通して、こんな自分でも、認めてやるか…許してやるか…と思えるようになったかな。

 

カーテンコール。

毎度毎度、照史くんの動作と表情に癒されていましたが、大千穐楽は、照史くん泣いちゃって、わたしも泣いちゃった(笑) カンパニーの人たちに支えられてここまでこれたということ、プレッシャーもあったけど、それがあったから乗り越えられたという感謝の気持ち、完走できたことへの安堵感がすべてあの涙の中にありました。今回は泣かないかな~と思ってたけど結局泣いてて…でも、わたしが今まで見た涙とはまた違う涙でした。

 

 

もうどう表現していいかわからないから、このツイートで察してください(笑)

すべてを今丸投げしましたが、わたしには到底知ることのできない部分でたくさん苦労もしただろうし、本当に大役で本当に大変だったと思う。だからこそね、わたしもグっときちゃいましたよ。でもね、ツイートにも書いたけど、本当にかっこよかったんだよね。めちゃくちゃかっこよかった。この人を好きになってよかったってまた改めて思えました。底なしの伸びしろの演技力もすごかったですが、共演者の方に「尊敬する」と言ってもらえるような人、本当に凄い人を好きになっちゃったって思いました。そう思わせてくれる桐山照史くん、マジであんたは最高や。

 

本当にお疲れ様でした。

すぐ次の仕事始まってるけど、

それもまたありがたいことだね。

更にステップアップした姿、

これからも楽しみにしています。

 

というわけで、これにて舞台アマデウス備忘録という名の、考察もどき兼感想ブログを終わります。結果12,000文字超えというMyojo1万字インタビューもびっくりマジ卍(万字)~~~状態のダラダラ文章を、長々とここまで読んでくださったあなた、最高や。本当にありがとうございます。またアマデウスについてみなさんと語りたいなあと思ったりもなんかして…。とにもかくにもありがとうございました!照史くん大好き~!